我の反生殖
date=2025-06-06T00:00:00.000Z,思考我は常常 反出生主義と親自殺主義に惹かれてきたし, 人は生殖しない義務を持つと考へてきたが, 最近は局時的には許容 (どころか奬勵) される氣がしてゐる. 生殖と死に對する私の現在地點を ざっくりと記す. これは必ずしも嚴密性を意識した文章でなく日記なので, 倫理學を期待すると汝は それを得ない!
最終的には反生殖
反生殖とは ‹人一般は生殖しない義務を負ふ› と言ふ思想である. 我は これが正しいと感ずる. 嚴密な議論は他に幾らでも情報が有るから, 説得的で やや情緒的な論點を幾つか擧げると
- 子を生むと言ふことは, 彼に老いと死の體驗を強制すると言ふことである
- その點で殺人と同等である
- 生んだ子が生まれなければ良かったと考へるとき, その責任は親に有るにも關はらず, 親は何をも せられない
- 具體的には, 子が生まれた直後から最惡の激痛を感じ續け, 止める術を持たなかったら?
- 子が死ぬまで幸福な生を送ると言ひ切ることが不可能な以上 生殖は賭博だが, 親は その賭博に己でなく他人 (子) の人生を賭ける
⚠️ 誤らないで欲しいのは, これは悲觀主義 (私など生まれなければ良かったのに) とは全く異なる. 反生殖は人類全體の不幸を減らす禱りであって, 個人的な嘆きではない.
⚠️ 我は敢へて ‹反生殖› と言ふ單詞を使ふ. ‹反出生主義› が最も普及した單詞だが, ‹出生› は己の出生が主題に見えて上の誤解を誘發すること, ‹主義› と言ふには david benetar の著作ならびに それへの反論に對する我の理解が少ないことに因む.
利己的には親自他殺
死そのものは, その個體から生ずる苦痛が增えなくなるので良い. ある人 p の利益のみを考慮するとき, p は常に死ぬのが良い (p が自己なら自殺だし, 他者なら他殺である). ちょっと epicurean なので毎回これを引用して了ふ.
また、死はわれわれにとって何ものでもない、と考えることに慣れるべきである。というのは、善いものと悪いものはすべて感覚に属するが、死は感覚の欠如だからである。[…] それゆえに、死は、もろもろの悪いもののうちで最も恐ろしいものとされているが、じつはわれわれにとって何ものでもないのである。なぜかといえば、われわれが存するかぎり、死は現に存せず、死が現に存するときには、もはやわれわれは存しないからである。そこで、死は、生きているものにも、すでに死んだものにも、かかわりがない。
ISBN9784003360613 エピクロス - 教説と手紙
⚠️ その後に續く文で明らかだが epicurus 自身は生に肯定的なので, これは恣意的な引用.
利他的には反自他殺
では我が他殺したり自殺したりしたかと言へば, 僞である. 明らかな點として, 現實の死は その直接要因が病にせよ暴力にせよ ほとんど必ず苦痛を伴ふからである.
より重要な點として, ‹ある人 p の利益のみを考慮するとき› と述べたが, その樣な特權的な人間は存在しないからである. つまり, どの人も その人だけの為に存在するのではなく (能力が有るなら) 世界を良くする義務を持つので, 役立つ限り簡單に死なれては困るのである.
負の功利主義 (最小少數の最小不幸とでも言ふべき, 普通の功利主義の逆) への反論から生まれた benevolent world-exploder (慈悲深き世界爆破者) と言ふ概念が有る. ‹即座に苦痛無く人類を滅ぼす能力を持つもの——慈悲深き世界爆破者——はその義務を負ふ› (が そんなわけはない と言ふ反論).
https://en.wikipedia.org/wiki/Negative_utilitarianism
これが實在するなら どんなに良かったか; しかし現實には我らは どんなものよりも步みの遅い, 啓蒙と言ふ手段に頼ることを要する. 人類絶滅の義務を遂行する人員は常に不足する; 死んでゐる場合ではない.
瞬間的には親生殖
變則的な構成だが ここで生殖に戻ってくる. 問題は, 反生殖-者が勝手に反生殖しても世界に何の影響も與へないことである. 親生殖-者は生殖し, 躊躇無く (宗教一般が さうである樣に) 子を新たな親生殖-者にする. 一方で反生殖-者は, 當然だが, 生殖しない. self 選擇壓 狀態である.
⚠️ ちょっと噓生物學っぽい言ひ回しだと自覺するが, 許して欲しい (優生學的陰謀論の荷擔には成らないと信じたい).
このままだと現狀は變化せず, づっと生物は生殖し續ける. 本來の目的は人類の絶滅であり, 個個人の單なる不生殖ではないのだった. なら, 戰略的に, 限られた時間枠の中では, 反生殖ゆゑの生殖實踐も有り得るのでは? と最近 我は考へる.
つまり; 反生殖-者も, あたかも反生殖を知らない人間の樣に生殖してみる. (どんなに正しい理念であっても無理な教育は常に子の精神を害するものだから) 必ずしも教條的に反生殖を子に教へるのでなく, 單に豐かな知的情報源 (それは圖鑑でも美術館でも漫畫でも友人でも良い) に觸れられる樣にし, 良い人となる樣に願ふ. 人類が善に傾けば, 自然と絶滅への意嚮が束となり, 未來には具體的計劃が練られる; そのとき, 人類は改めて有効な反生殖實踐をする.
これで良いのではないか?
これを書きながら ‹さすがに噓すぎ› と思はなくもなかったが, 少なくとも自然發生し散在する反生殖-者が反生殖するよりは希望が有る樣な氣もする.
どうであらう. この議論は生殖を許容するに價ふか.
⚠️ 言ふまでも無いが, 養子を育てることは常に生殖に優先する.
餘談: 人類以外
苦痛を減らしたいと願ふ以上, その對象は人類でなく苦痛を感ずる生物 (有感生物) 全般である. 人類が人類を滅ぼす能力を得たとき人類以外を滅ぼすのも さう遠くは無いと信ずるので, これに關しては樂觀視する. 現に存在しないが未來に生ずる (進化とかで) 生命の芽を摘むことも, 地球内では可能だと思ふ.
問題は地球外の生物である. 未だ發見すら遂げて ゐないのに, 生物の存在する星 (それは無數に有るかも知れない) まで往き, 原生種を滅ぼすと言ふのは不可能に思へるし, そもそも苦痛と言ふ機構を持たない可能性も有る. 自分の文明は必要なら自分で滅ぼすもの, と妥協しても良いと思ふ.